韓国 平昌(ピョンチャン)
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平昌(ピョンチャン)に関連するお知らせ
2018年1月12日、RKB毎日放送 RKBラジオ 「仲谷一志・下田文代の夜なおし堂」に、ソウルオフィスのオフィスリーダー 金光明(キムコンミョン)が、ソウルから電話生出演。
平昌オリンピック直前の、韓国の情報を、ラジオ番組で語りました。
2018年ピョンチャンオリンピック
いよいよ、迫ってきた平昌オリンピック。
その開催地が、韓国の平昌、ピョンチャンです。
韓国に相当行っている韓流好きの女性でも、ピョンチャンに行ったことがある方は、非常に少ないと思います。
そこで、今日は、次の冬季オリンピック開催地である、ピョンチャンの思い出を書いてみたいと思います。
ピョンチャンの位置と、歴史
日本人が、ほとんどピョンチャンに行ったことがないのは当然で、ここは、ソウルから高速道路で、3時間の距離にあります。
ソウルは、歴史上、李氏朝鮮時代の首都 漢城ですが、ピョンチャンは、李氏朝鮮王朝前の古代朝鮮時代、高句麗に属していた、北方の地です。
高句麗は、朝鮮の北方を領地にしていましたので、今の北朝鮮の殆どが高句麗領でした。
従って、ピョンチャンは、歴史的には、北朝鮮に近い地域です。
もちろん、現在の北朝鮮と韓国を隔てる軍事境界の38度線は、朝鮮戦争時代の停戦ラインに過ぎませんから、歴史的にも、国境でもなんでもありません(38度線を南北国境だと思っている方がいますが、現在に至るまで、南北ともに、相手を国と認めておりませんので、38度線は、軍事境界線に過ぎません)。
ピョンチャンは、北朝鮮から伸びる太白山脈に位置します。
2011年初めてピョンチャンを視察
僕は、2011年、はじめて、ピョンチャンに行きました。
この時、既に、韓国政府の、ピョンチャンオリンピックに向けた鉄道や高速道路計画が動き出しており、地元では、不動産開発が大きく動き出しておりました。
ピョンチャンには、冬季オリンピックの舞台になる龍平スキーリゾートという、一流のスキー場があり、欧米のホテルが、進出を始めていました。
日本の、あるリゾート会社の進出支援で、僕は、ソウルオフィスリーダーとともに、ピョンチャンに、車で向かっていました。
その前の夜、僕たちは、ソウルからピョンチャンに至る途上にある、麗州(リョジュ)という地域の、現地リゾート企業と同社との提携商談を前提とした視察商談を実施し、その街に泊まりました。
その現地企業から、夕食に御馳走になった、韓国式サウナの原型である、土製サウナの熱で焼いた焼肉が、あまりに美味で、僕は、調子に乗って、ジンロを飲みすぎました。
次の朝、凄まじい頭痛と吐き気で、僕は、久々の二日酔いに苦しんでいました。
朝、出発時刻まで、朝食も食べずに、ベットで苦しんでおりました僕にとって、リョジュから、ピョンチャンに向かう、高速道路は、地獄でした。
とにかく、車の助手席で、吐かないように、上を向いているいるのが、精一杯という状態。
同行の諸君が、
「うわー。雪だ雪だ」
と騒ぎ出す頃、ようやく、辛うじて、窓を開けて、外の空気を吸う余裕ができました。
そんな情けない僕に、ピョンチャンの澄み切った空気は、本当に新鮮でした。
日本でいえば、関越トンネルを越えたときに感じる「雪国」の空気と同じく、冷たく、澄み切った空気に、感動しました。
2011年時点では、ピョンチャンは、まだ、欧米を中心としたホテルが、ようやく、進出をはじめた程度でした。
貿易に依存しすぎている経済体制の韓国が、健全な経済発展を遂げるためには、国内の内需を拡大するしかありません。
2016年の今でも、韓国は、内需経済に移行できず、そのために、中国経済の低迷の影響を受けて、苦しんでいますが、2011年時点では、韓国は、本当に内需経済が貧弱な国でした。
ピョンチャンに到着してみると、前日に訪問したローカルエリアのリゾートとは、全く別世界でした。
同行のリゾート会社の社員の方の見立てでは、雪質は、非常によく、
「これは、素晴らしいスキー場です」
とのこと。
日本のスキー場とは違う、カナダや北欧のスキーリゾート地に近い、洗練された、リゾート地だということがわかりました。
同行の企業の視察の印象も上々。
スキー場を視察した僕は、お昼には、地元のローカル朝鮮料理屋で、酒に強い通訳と、強烈に辛い肉鍋を肴に、マッコリを向かい酒し、一気に、元気を取り戻し、午後には、進出の具体的な商談ができる状態を取り戻しました。
そんな僕を、同行の会社の社員の方々は、
「海外で仕事をするには、まっちゃんくらい、タフじゃないと駄
目なんですね~。」
と眼を丸くして観ていました。
平昌は、オリンピック開催とともに、ソウルからのアクセスも格段に向上しています。
スキー好きの皆さんは、マークしてみるとよいのではないでしょうか。